イラク戦争初期の2003年12月から2009年2月まで、イラクの国家再建支援のためイラク南部のサマーワに自衛隊が派遣されていました。(延長も含む)
2006年7月にサマーワを撤収するときに現地の外交官は「3年間、延べ2000人の自衛官が駐留して、一人の脱走兵もなく、一人の婦女暴行もなく、一人の無銭飲食もなかった。こんな軍隊は世界のどこにもない。」と述べた。
また、撤収が近づくと現地住民が「自衛隊に感謝する」「帰らないでくれ」というデモがおこったそうです。アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍など近くにいた他の軍隊から「どういう手を使ったのか?いくらお金を渡したのか?」などという問い合わせがきたそうです。
自衛隊がイラクサマーワに到着してから数週間後、現地イラクの新聞の記事にはこう書いてあった『我々はサマーワに日本隊が到着するまで、この道徳と倫理を保持した立派な人々について何も知らず、感情のかけらもない技術革命により、全世界の心を支配するつもりだろうと思っていた。しかし、日本国陸上自衛隊がサマーワに到着して数週間の内に、サマーワの人々は彼らが「古きニッポン」の子孫として、愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。彼らは偉大なる文明を保持するとともに、他の国家を尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。』
イラク復興業務支援隊の隊長、佐藤正久一等陸佐(ひげの隊長、現参議院議員)は先遣隊として7カ月間派遣されました。佐藤さんが帰国する時には現地の部族長が「嫁と家は準備するから帰るな!」とまで言われるほど現地民から絶大なる信頼を得ていた。また、「サミュール・サトウ」というアラブ名まで贈られていた。※イラクでは嫁さんは4人まで持てる
世界各地に派遣されている自衛隊ですがどこでも信頼され感謝されている。
私は自衛隊の活躍に感動をしながらこうした資料を見ていたのですが、以下のような記事を見て驚愕しました。それはイラクに赴く前に、陸自の戦史研鑽室で、戦前の日本軍が大陸で行った現地の施政法や異郷の現地民との交流訓などを紐解いて、日本とまったく違うイスラム教の文化圏での行動マニュアルを作って参考にしていたそうです。
「戦前の日本軍が大陸で行った現地の施政法や異郷の現地民との交流訓などを紐解いて参考にしていた」ですが、戦後日本軍は戦時中に外地で蛮行をしていたと言う報道や記事を目にしますが、戦前の日本軍の作った現地の施政法を参考にした自衛隊が世界各国で尊敬と称賛を浴びているのを目の当たりにする時、明治時代はおろか戦国時代以前から日本人の礼儀正しさ、正直さなどを外国の人が驚嘆して書き記している事実を見るにつけ戦時中の数年間だけ日本人の本質が変わるという事は考えられないので、戦時中も今の自衛隊のように外地で立派な行動をとっていたことを確信しました。
被虐思想に陥った日本人ですがこうした事実を広く知って日本人の誇りを取り戻しましょう。
文責:冨田武夫
参考にしたyoutubeの動画をいくつか紹介します。タイトルをクリックすれば見れます。
youtube投稿より イラク を守った最強の陸上自衛隊が凄すぎる!イラク の人々から感謝される理由とは!
youtube投稿より 感動「自衛隊がデモ隊に囲まれた!」驚愕マスコミが報道したくないイラクでの真実!衝撃とびっくり仰天の活動
youtube投稿より 驚愕!米英軍「日本はイラク人に一体何をしたんだ?」自衛隊への地元の大量デモ発生に、米英軍が混乱!